家紋コラム-1        家紋コラム-2
★-1:日本人の郷愁と愛着の対象

「お宅の家紋は何ですか?」と聞かれて、「さあ、そういえばあったような気もしますが、何だったかなあ。。。」などと応じる人がふえている。とくに、若い人は感心が薄いので、知らない人が多いようだ。
毎日それを意識することはないが、イザというときに出てくる家紋。知らないより知っていたほうがいい。同じ知るなら、すこし徹底していろいろ知っていた方がおもしろい。
家紋は歴史の中に忘れ去られた単なる伝統、単なる文化遺産、というわけでは決してない。現在も脈々と息づいて、暮らしの中に立派に生きている。
たとえば冠婚葬祭を見れば分かる。結婚式場、披露宴、いずれも家紋の行列だ、七五三の宮参りには、紋付を着た男の子が千歳飴を手にポーズをとる。神社の祭壇、仏閣の縁日には神紋・寺院の入った幕が張られる。葬儀の時もその家の紋の入った提灯がかかげられ、紋付礼装の人が焼香の列をなす。
しきたりと伝統による冠婚葬祭に限らない。よく注意してみるとわかるが、家紋は、「核家族化」が進んだといわれる今も、いたるところで使われ、われわれの目をひきつける。
日頃そんなことは忘れていても、ふと目にふれたり、ちょっとしたことから思い起こしたり「あっ、うちの紋と同じだ」とハッとしたりする。
こういった情緒的に日本人としての伝統に対する郷愁と愛情の念がうかがえる。

★-2:衣服とのつながりで発展

そもそも家紋は、公家では、輿車に、武家では旗、幕、盾、武具にもちいていたもので、家紋の普及につれて、衣服にも使われるようになった。
そして、さらに調度品など生活用具や、建築物、石碑、仏具にまで広くもちいられるようになった。
武家が家紋を衣服につけるようになったのは、鎌倉時代から。当時はまだ一般化していなかったが、南北朝時代になって、直垂につけるようになり、これが礼服となった。
羽織が盛んになったのは徳川時代になってからだが、これは礼服として通用しなかった。当時は民間でも紋のはいった裃を用いた。
紋付羽織が礼服として通用するようになったのは、刀を捨てた明治維新後でしかも男のみに限った。
家紋がここまで歴史の中でもまれ、消えることなく続いてきたのは、ひとつにこうした衣服、礼服とのつながりが非常に強かったからだといえるのかも知れない。

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★-3:装飾性が強調され広範多岐に使われる。

武家の誇りでもあった家紋も、大平の続く元禄期ともなると、装飾的な面が強調されるようになる。
家紋の形も優美になり、鹿子に染めた鹿子紋、金糸を使った縫紋など、派手な世相を反映、用途も衣服だけでなく広範多岐にわたって一挙に拡大していく。
そのうち甲胄、刀剣などの武具を除くほとんどの使われ方が、明治を経て現在に至っている。
目につくところでは、商家の暖簾、漆塗仕上げのお椀・膳の祝膳一式、風呂敷、ふくさ、衣裳行李、蒲団表地、鏡、鏡台掛け、法被、袋物、旗幟、文庫、かんざし、酒盃、提灯、線香立て、お神輿、襖から瓦、墓石にいたるまで、江戸の名残りをとどめている。
現在ではさらに、会社のマークからネクタイ、タイピン、カウス、コンパクト、帯留、バックルなど装身具、アクセサリーまで及び、応接間のインテリアに家紋の額をかけている人もある。
武具の系統としても、五月人形、兜飾りにその名残りをとどめている。
家紋は、いわばその家のマークである。

それにしても、われわれの先祖には、何とすばらしいデザイナーが沢山いたものだろう。花や植物をテーマにしたものが多いが、情感あふれみごとなデザインがこれだけ集約されているものは珍しい。
最近のわけのわからないのが売り物のナウいデザイナー諸君にも、大いに参考になろう。
こんなわが家のマークがあるということを、もう一度見直してみよう。
西洋にも紋章というものがある。王候貴族や、名家のシンボルマークだが、こちらの方はライオンや鷲、盾、刀剣、槍などに幾何学模様的なものをからめたものが多い。ひいき目を割り引いてみても、わが家紋の方に軍配をあげるのに異議ある人はあるまい。

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★-4:衣服と家紋ー現在の礼服に見られる家紋

家紋が使われる最もポピュラーな例といえば、やはり呉服のいわゆる紋付につきる。
男女それぞれについて少し詳しく見てみよう。

婦人の場合、正装は「黒留め袖の五つ紋」とされているが、「留め袖」というのは礼装用の黒地裾模様の着物のこと、”振袖”に対して背丈が短く(一尺五寸=約45センチ)、結婚後、振袖のたもとを留めて着用したので、この名がついた。
黒留袖と色留袖があり、生地に色の付いた裾模様が色留袖、黒の方が正式である。
ともに全体に模様の入った豪華な訪問着より格は上である。
さて家紋であるが、式服に据える家紋は、五つ紋、3つ紋、1つ紋の違いがある。正面の両肩下(胸の上)、背中、両袖裏側中央の五ケ所に据えるのが五つ紋である。
もっとも格式の高い礼服、黒留袖の場合に用いる。三つ紋は背中と両袖で、色留袖や色無地の準礼服となる。
披露宴に招待されたときや、子供の入学式などに着る。背中に一つが一つ紋で、気楽なパーティーまで広く着られるら略礼装に当たる。

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★-5:母系で受け継がれる女紋

紋はいずれの場合も、「女紋」をつける。
家紋はもともと「家」と苗字の独自性を象徴したマークであり、家中が一つの同じ紋を使うのがたてまえである。
が、封建時代は男子専用とされていた。
それが江戸時代になると、百姓町民など一般大衆にまで広がり、女性専用の女紋も生まれたのである。
その家を代表する紋を定紋、正紋、本紋、表紋と称し、女紋はこの定紋に因んで作った。

最初は、嫁入りの際持参する道具や調度品に実家の紋を使い、結婚後もそのまま使用した。
さらに女児が生まれると母方の家紋を受け継ぐという形で定着し、実家の定紋となんらかの因縁のあるものを選ぶ風習があった。
女紋は定紋に比べて小型のものが多く、格式ばった形より、細線で描いた優美なものが好まれた。
”陰紋”や”中陰紋”と呼ばれ複線(陰線)で描かれたものや”糸輪”という細い外郭円の中に紋章の一部だけを表して全体を描かない”覗き”と称するものなどは女紋に使われることの多いものである。
この女紋の扱いは地方によって違う。
結婚したら嫁入先の家紋を用い入る地方と、尾張地方のように、嫁が母の紋を持ってきて、これを嫁の紋として、その娘が嫁入るとき、またこれを持っていく場合がある。

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★-6:男子の礼服と家紋

男が和服で正装する場合は、黒五つ紋付の長着、羽織に袴をつける。
結婚披露宴などで新郎の”色直し”に最近、”色紋つき” をすすめる向きもあるが、派手さはともかく、式服としての格調と品格は、やはり黒紋付にまさるものはない。
色直しに着るだけだから、多くの場合、式場の衣裳部や貸衣裳屋にまかせ切りになる。
家紋を指定しないとなんの家紋のものを着せられるかわからない、だから、はっきりした家紋を指定しておかないと、当日になってあわてても間に合わないことになる。
大抵の家紋は揃っているから、一生一度の晴れ姿、家に伝わる家紋を付けたいものだ。ついでながら袴は、縞目のはっきりした仙台平がよい。

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★-7:家紋の大きさは時代で変化

家紋の大きさには、標準寸法がある。
旧尺貫法でいうと、男の定紋の場合、一寸描きの九分仕上がり、すなわち直径約3センチの円の中に、約2.7センチの大きさで染め出す。
女紋は、直径2センチ大の円形がふつう、これだけは男女同権とはいかない。
家紋の寸法は時代によって変化している。
将軍呉服方の「留書」によると、家康、秀忠、家光三代の大きさは裃の場合一寸四分五厘。それが華美を誇る元禄の五代綱吉の時代になると、小袖で二寸にもなっている。
家紋のもつ意味と権威によるが、当時はそれほど尊重されていたことになる。

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★-8:注意のいる紋付の注文


紋付を新しく注文する場合、肝心な点に留意しないと、できてから「こんな紋じゃない」といってもはじまらない。
家紋の種類は、非常に多く、しかも同一紋でも多様な変化がある。
注文は、百貨店、呉服店、染め物屋など、どこでもいいが、一番確実なやり方は、実物をみせることだ。
また「紋帳」を見せてもらうのがよい。
「紋帳」は江戸時代から伝わるもので、しっかりしたところは必ず持っている。
たとえば電話などで「下がり藤です、よろしく」ではダメ。 下がり藤は、総称である。
標準の下がり藤だけでなく、丸、違い、軸違い、陰、中陰、割り、石持ち地抜き、糸輪、覗き、隅きり、重ね角、雪輪、片手下がり、菱など、多彩なバリエーションがある。
だから紋帳などをみながらはっきり指定する必要がある。
家の紋を知らない人、忘れた人もいる。特に東京など大都会に出てきた若い世代は、知らない人のほうが多いくらいだ。
これは男女を問わない。しかし、冠婚葬祭ともなると、”ジーパン”では通用しない、ましてや自分の結婚ともなると、急に”家”の問題が浮上してくる。
だから、自分の家の紋ぐらいは知っておいた方がいい。極端な場合、親も忘れていることがある。
調べ方は比較的やさしい。
まず直系尊族に聞く。それが不可能なときは、親族とくに本家筋に聞くとわかる。
こっそり調べたいときは、故郷の菩薩時を訪ね、墓石、位牌、過去帳を見せてもらう。
墓や位牌に家紋が据えられている例も多く、それは同族のものでもよい。
それでも、どうしても判明しない場合は、家紋の書籍などで選定すればよい。
苗字を改正することを思えば簡単、区役所へ届ける必要もない。また家紋を変えるのも自由だ。が、やはり、先祖から連綿と続く定紋は、大切に守り伝えていくのが、人倫の道というべきだろう。

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★-9:「様々な役割を担い千年を経る」--戦陣で磨かれた家紋

家紋は千年の歴史をもつ。平安時代、公卿の間で、輿や牛舎、衣服に好みの模様を用いたのがはじまり、これが参内するときの目印となった。
武家の家紋の成立は、公家よりやや遅れるが、広く普及したのは武家の方である。
戦場における混乱を避けるため、敵味方をはっきり判別し、また自分の武功を際立たせ、後日の恩賞にあづかるためにも、他氏と違った、”標識”が必要であった。
鎌倉武士は”猛虎襲来”に際し、独自の家紋を据えた軍旗の下、命を賭けて戦った。
家紋は武勲をともに輝き、一門の名誉を表す旗印となった。そしてさらに戦国の戦塵によって磨かれ、大きく成長していった。

武勇に輝く有名紋は、羨望のまなざしで仰ぎ見られ、また手柄によって主家の紋を下賜されることもあった。
一番の名誉は、朝廷からその副紋である”桐の紋”を賜ることである。
足利尊氏、豊臣秀吉がその代表例だ。
秀吉は、家臣にも気前よく再下賜して桐紋を普及させた。中には欲しくてたまらず、僭用や盗用も出てきた。このため秀吉は天平十九年(1591)”菊桐紋”の禁止令を出したくらいである。

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★-10:大平の世には”家格門地”を示す手段

大坂夏の陣を最後に、戦乱はおさまり大平の徳川期になると、旗指物、幟、馬標などの必要もうすれ、家紋の用途は、もっぱら ”家格”を示し異議を正す礼儀的なものになってくる。
戦国乱世では戦陣の功名がものをいう。が、太平の世となれば ”家格門地”がこれに変わり、それを表示する家紋は、その上下を区別するという別の意味で、ますます重要性を帯びてきた。
徳川幕府の政治はまさに ”家紋”の格付けによってなされた、といっても過言ではない。
将軍と大名、大名と家臣の区別はいうまでもなく、大名同士、家臣同士の間にも厳然として家格門地の違いによる差別があった。
その識別が家紋でなされた。江戸城でも控室が違う。大手門には下座見役がいて、登城してくる大名の紋所を確かめ、それによって、「どこそこの殿様ご登城」といち早く場内に知らせた。
参勤交代で江戸へ上がるとき、道中で他の大名と出会うことがある。
相手の家紋や槍印を見て、礼儀作法を考えなければ大変。家格の低い方が行列を止め、殿様は戸を開いて会釈する。
このため先払には、諸大名の家紋に精通して者を選んでいた。
そのチャンピオンが ”三葉葵”の紋所、一目見ただけで土下座となる。これは水戸黄門でお馴染みのシーンである。
家の定紋は、幕府に届出の正式の紋。やたらに放棄することはできなかった。大名、旗本も定紋によってランクが決まり、序列ができた。
この伝統と家系の名誉は、実際に命より大切であったに違いない。

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★-11:庶民にも開放される

幕府は、苗字帯刀を許されなかった庶民にも、家紋の使用は自由に認めた。
これで、お江戸は家紋の花ざかりとなり、世界に類を見ない多くのすぐれたデザインを生み、その美を競うことになる。
役者、遊女も好んで紋をつけた。市川団十郎は「三枡(三つ入れ子枡)」を代表紋として、 ”見ます”にかけ、二升五合(枡々半升)の ”ますます繁昌”より上をいくことを心掛けた。
庶民の「紋帳」を見比べ、気に入ったものの変形を ”上絵師”などのデザイナーに頼んで描いてもらった。
まさに、 ”百花撩乱”である。

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★-12:分家などに際しいて種類がふえる

家紋は、家督と同様に嫡子相続法からいって男子正嫡をもって継承するの定法であった。次男以下、また腹違いの者が
分家する場合は、出目を明らかにするため、多少デザインを変えて表示した。
庶民もこれに準じた。こうして家紋は分家たたびにふえていった。
絵柄の種類としては、花を中心とした植物紋が圧倒的に多く、動物をかたちどったものは少ない。

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★-13:十字軍が発達させた西洋の紋章

家紋を天下万民等しく持っているのは日本だけである。
西洋にも紋章はあるが、王候貴族にかぎられている。
ヨーロッパで紋章が発達したのは、十二世紀以降で、ちょうど鎌倉時代の初期にあたる。
とくに「十字軍」の遠征で刺激された。十字軍はヨーロッパ諸国が聖地の保護を目的として派遣した連合軍だったから、混乱を避けるためにも標識を必要とした。
この場合、騎士の携えた武器のうち、一番目をひいたのは盾である。
ヨーロッパの紋章が日本の円形家紋と違って、楕円を切ったような形の ”盾形” となってえいるのは、これに由来する。
ヨーロッパの紋章は、一家一紋の個人用というより、領主の領土、権利を象徴するもので、都市、法人などの団体紋も発達した。
絵柄は日本と反対に動物がほとんど、獅子、豹、熊、犬、馬、牛、象や鷲、鷹、孔雀、白鳥、ペリカンなどで、その
姿勢によって区別した。
たとえば前足をあげて立つ獅子や、ハプルブルク家の ”双頭の鷲”などが、その典型である。しかも地紋の模様も絵柄も極彩色である。
現在は会社の社章、商標が紋章の代表格になっている。日本のものはモノクロだが、欧米のものはカラフルな例が多く、この面でも伝統の違いが色濃く出ている。
では種類の多い日本の家紋のうち、いま最も多く使用されているのは何だろうか。
本格的な統計資料はないが、姓名と家紋の研究科としいて知られる丹羽基二氏の実地見聞による調査から、引用させていただくと、藤、木瓜、片喰、鷹の羽、桐が五大紋。続いて蔦、柏、桔梗、星、茗荷、橘、竹、笹、巴、沢瀉、引両、目結、車、竜胆といったところで、やはり花を主とした植物紋の多いことがわかる。

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本コラムは、発行所:(株)日本実業出版社 
著者:真藤建志郎 ”見る、知る、楽しむ「家紋」の辞典”を参考にさせていただきました。
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